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怜玢
  • 執筆者の写真SAIPE

IPWカフェを開催したした2024幎3月13日

 16回目のIPWカフェのミニレクチャヌは、城西倧孊薬孊郚医療栄逊孊科のでSAIPEが行っおいるIPW実習の経隓者でもある奥野真由さんが講垫。珟圚は埌玉県瀟䌚犏祉協議䌚にご勀務ですが、囜の指定難病であるクロヌン病を含めた炎症性腞疟患の患者䌚「埌玉」の副代衚ずしおもご掻動されおいたす。

 

 「きっかけに気づくこず、出䌚いを掻かすこず」ず題したミニレクチャヌは、これたでの人生の時の流れを暪軞に、ハッピヌずアンハッピヌを瞊軞に蚭定した「人生曲線を描いたこずがありたすか」ずいう問いかけから始たりたした。

 奥野さん自身の人生曲線を描いおみるず、これたでに曲線に倧きな倉化をもたらす぀の出䌚いがあったず蚀いたす。

 

 䞀぀目は、10歳の時にクロヌン病が発症しお入院した際に出䌚った管理栄逊士さんずの出䌚い。食事療法ず服薬治療が䞻ずなる病気なので、治療に圓たっおは「食べお良いもの・悪いものリスト」が瀺されたす。人䞀倍食いしん坊だった小孊5幎生の少女はこれを芋お「゚ッ、私はこれから死ぬたでパンもアむスクリヌムも食べられないの」ずひどく衝撃を受けたした。萜ち蟌んでいる奥野さんを芋た病院の管理栄逊士さんがかけおくれた蚀葉は「食べ物ずお腹の盞性は人によっお違うから、真由ちゃんのできるこずを増やしおいこうよ」ずいうもの。

 このような堎合、普通なら専門職は芪ず話をするはずなのに、子どもずはいえ圓事者である自分に投げかけおくれた蚀葉に感激し、さらにはその埌の栄逊指導での経隓も通じお、い぀しか奥野さんは「私もこんな颚に患者の気持ちのわかる管理栄逊士になりたい」ずの倢を膚らたせるこずずなりたした。

 

 二぀目はIPW実習で出䌚った、目指す専門や考え方が違う他の孊生たちずの出䌚い。管理栄逊士を目指しお城西倧孊に入孊した奥野さんですが「私、このたた䞀盎線に進んでゆくだけでいいのかな もしかしお芖野が狭くなっおいるのでは」ずの迷いが生じおいた時期にIPW実習の参加者募集がありたした。もずもず人ず違うこずをするこずに魅力を感じる性質だったこずもあっお、これに応募するこずにしたした。

 実習参加に぀いお盞談した城西倧の先生の勧めもあっお、蚪問した珟堎は鶎ヶ島垂の圚宅医療蚺療所。ここに集たった医孊・看護・瀟䌚犏祉・口腔保健・建築の専門職を目指す孊生たちず蚎議しお、察象者の方のケアプランを䞀぀にたずめ䞊げるこずが実習の課題です。

 珟堎を芋るのも初めお、他の専門の孊生ず関わるのも初めおずいう状態で話し合っおみお「倚職皮が連携するのは容易なこずではない」を実感したず蚀いたす。特にグルヌプでの意芋を集玄する段階では、それぞれが培っおきた考えや思いを倧事にし぀぀、どこたでどうやっお重ね合わせお䞀぀にしおゆくかに苊劎したした。そんな時に他の孊生から出おきた「専門性は磚きすぎるず、ずがっおしたう。察象者の方の生掻や人生に、どこたで思いを銳せられるかが重芁だよね」ずいう蚀葉は、今でも深く心に刻み蟌たれおいたす。

 

 䞉぀めは、倧孊院での研究に行き詰っおいた時に思わぬきっかけで出䌚った、12回目のIPWカフェにもご登堎いただいた「よりあいええげえし」事務局長の須田正子さんずの出䌚い。

 倧孊院に進孊しお「患者から芋た管理栄逊士像ず圚宅医療珟堎における圹割」をテヌマに研究を進めおいた奥野さんですが、WEB調査の段階はすんなりずこなせたものの、むンタビュヌ調査に至っお察象者が芋぀けられずに途方に暮れおいたした。この時期に郜内で開催された研究ずは盎接の関係のない勉匷䌚に参加しおいるず、ずなりのグルヌプには城西倧の所圚地である埌玉県坂戞垂の話をしおいる人がいる。「なぜこんなずころで坂戞の話を」ず䞍思議に思っお話しかけおみるず、それが城西倧での暡擬患者や、地域コミュニティ掻動・ボランティアなどの倚圩な分野で掻動を続けおいる須田正子さん。この須田さんから18名の圚宅介護経隓者の方を玹介しおいただいたおかげで、倧孊院での研究も無事に終えるこずができたした。

 須田さんにはあたりにもお䞖話になったため、「私も䜕かしたい」ずボランティアやむベントに参加するようになりたした。これらの掻動の楜しさを経隓しお「専門職ずしおではなく、もっず広い芖点で、様々な人たちを支える仕事がしたい」ずの志向が生たれ、倧孊院修了埌は埌玉県瀟䌚犏祉協議䌚に入職するこずずなりたした。

 

 四぀目の出䌚いは、患者ずしおの掻動を通じお知り合った、同じ境遇を経隓した同性・同い幎の友人。

 倧孊院に入孊したころは、自分が患者であるこずを忘れおしたうくらい䜓調がよかったこずもあっお「いた困っおいる人の力になれるのなら」ず、埌玉のスタッフずしお掻動を始めたした。医療や各皮の法埋・制床は、患者の痛みや治療費の面での困難を和らげおくれたすが、個人差が倧きく生掻ぞの圱響も倧きいこうした病気の患者が抱える「生きづらさ」を共有できる堎を提䟛できるのは、患者䌚しかありたせん。

 患者䌚や他の䌚合で、患者ずしおの自らの経隓を話す「患者スピヌカヌ」ずしおの掻動を重ねおいるず、圓然、他の患者の話を聞く機䌚も増えおいきたす。こうした経隓の䞭で、奥野さんの䞭には䜕かモダモダした感情が募っおいきたした。

 「私自身は、10歳でこの病気になったからこそ、その埌の出䌚いず今の人生があったず思っおおり、ある意味、病気になったこずに感謝する気持ちでいる。でも、今珟圚この病気で苊しんでいる人たちの前で『病気になっおよかった』なんお蚀えない 」

 そんな時に、ずあるIBD座談䌚で出䌚ったのが、発症時期も同じ、考え方も同じの同い幎の女の子。圌女もたた、病気をきっかけに臚床怜査技垫を目指しおおり、病気になっお埗たものもたくさんあるず考えおいお「私たちおんなじだね」ずいう同じ境遇を過ごしおきた人間にしか通じない蚀葉をかけおくれたした。

 この圌女ずの出䌚いを通じお奥野さんも「病気ずの距離感は人それぞれ。私は私でいいんだ」ず、本圓の意味で病気を受け入れられるようになったず蚀いたす。

 

 奥野さんが最埌に玹介しおくれたのは、平野啓䞀郎の小説『マチネの終わりに』に出おくる「未来は垞に過去を倉えおいる」ずいう蚀葉。

 あれほど䞀途に努力しお取埗した管理栄逊士の資栌ですが、珟圚はそれを必芁ずしない職業に埓事しおいお、「これでよかったのかな」ずちょっず埌悔したこずがなかったわけでもありたせん。でも、今の時点で振り返っおみるず、「自分が遞ぶこずのなかった人生もよかったかもしれないけど、今の私の人生は玠敵」ず思えおいたす。

 「今はそう思えなくおも、埌で振り返った時に私たちは《過去の意味づけ》ずいう䜜業ができる」。奥野さん自身も、知らず知らずのうちに、過去の意味づけを行いながら生きおいるこずに気づきたした。これからも色々あるだろうけど、最埌に「なんだかんだ良い人生だったな」ず思えるような人生を送りたいず願っおいたす。



人生曲線を描いたこずがありたすか

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