16回目のIPWカフェのミニレクチャーは、城西大学薬学部医療栄養学科のOGでSAIPEが行っているIPW実習の経験者でもある奥野真由さんが講師。現在は埼玉県社会福祉協議会にご勤務ですが、国の指定難病であるクローン病を含めた炎症性腸疾患の患者会「埼玉IBD」の副代表としてもご活動されています。
「きっかけに気づくこと、出会いを活かすこと」と題したミニレクチャーは、これまでの人生の時の流れを横軸に、ハッピーとアンハッピーを縦軸に設定した「人生曲線を描いたことがありますか?」という問いかけから始まりました。
奥野さん自身の人生曲線を描いてみると、これまでに曲線に大きな変化をもたらす4つの出会いがあったと言います。
一つ目は、10歳の時にクローン病が発症して入院した際に出会った管理栄養士さんとの出会い。食事療法と服薬治療が主となる病気なので、治療に当たっては「食べて良いもの・悪いものリスト」が示されます。人一倍食いしん坊だった小学5年生の少女はこれを見て「エッ、私はこれから死ぬまでパンもアイスクリームも食べられないの?」とひどく衝撃を受けました。落ち込んでいる奥野さんを見た病院の管理栄養士さんがかけてくれた言葉は「食べ物とお腹の相性は人によって違うから、真由ちゃんのできることを増やしていこうよ」というもの。
このような場合、普通なら専門職は親と話をするはずなのに、子どもとはいえ当事者である自分に投げかけてくれた言葉に感激し、さらにはその後の栄養指導での経験も通じて、いつしか奥野さんは「私もこんな風に患者の気持ちのわかる管理栄養士になりたい」との夢を膨らませることとなりました。
二つ目はIPW実習で出会った、目指す専門や考え方が違う他の学生たちとの出会い。管理栄養士を目指して城西大学に入学した奥野さんですが「私、このまま一直線に進んでゆくだけでいいのかな? もしかして視野が狭くなっているのでは?」との迷いが生じていた時期にIPW実習の参加者募集がありました。もともと人と違うことをすることに魅力を感じる性質だったこともあって、これに応募することにしました。
実習参加について相談した城西大の先生の勧めもあって、訪問した現場は鶴ヶ島市の在宅医療診療所。ここに集まった医学・看護・社会福祉・口腔保健・建築の専門職を目指す学生たちと討議して、対象者の方のケアプランを一つにまとめ上げることが実習の課題です。
現場を見るのも初めて、他の専門の学生と関わるのも初めてという状態で話し合ってみて「多職種が連携するのは容易なことではない」を実感したと言います。特にグループでの意見を集約する段階では、それぞれが培ってきた考えや思いを大事にしつつ、どこまでどうやって重ね合わせて一つにしてゆくかに苦労しました。そんな時に他の学生から出てきた「専門性は磨きすぎると、とがってしまう。対象者の方の生活や人生に、どこまで思いを馳せられるかが重要だよね」という言葉は、今でも深く心に刻み込まれています。
三つめは、大学院での研究に行き詰っていた時に思わぬきっかけで出会った、12回目のIPWカフェにもご登場いただいた「よりあい*ええげえし」事務局長の須田正子さんとの出会い。
大学院に進学して「患者から見た管理栄養士像と在宅医療現場における役割」をテーマに研究を進めていた奥野さんですが、WEB調査の段階はすんなりとこなせたものの、インタビュー調査に至って対象者が見つけられずに途方に暮れていました。この時期に都内で開催された研究とは直接の関係のない勉強会に参加していると、となりのグループには城西大の所在地である埼玉県坂戸市の話をしている人がいる。「なぜこんなところで坂戸の話を?」と不思議に思って話しかけてみると、それが城西大での模擬患者や、地域コミュニティ活動・ボランティアなどの多彩な分野で活動を続けている須田正子さん。この須田さんから18名の在宅介護経験者の方を紹介していただいたおかげで、大学院での研究も無事に終えることができました。
須田さんにはあまりにもお世話になったため、「私も何かしたい」とボランティアやイベントに参加するようになりました。これらの活動の楽しさを経験して「専門職としてではなく、もっと広い視点で、様々な人たちを支える仕事がしたい」との志向が生まれ、大学院修了後は埼玉県社会福祉協議会に入職することとなりました。
四つ目の出会いは、患者としての活動を通じて知り合った、同じ境遇を経験した同性・同い年の友人。
大学院に入学したころは、自分が患者であることを忘れてしまうくらい体調がよかったこともあって「いま困っている人の力になれるのなら」と、埼玉IBDのスタッフとして活動を始めました。医療や各種の法律・制度は、患者の痛みや治療費の面での困難を和らげてくれますが、個人差が大きく生活への影響も大きいこうした病気の患者が抱える「生きづらさ」を共有できる場を提供できるのは、患者会しかありません。
患者会や他の会合で、患者としての自らの経験を話す「患者スピーカー」としての活動を重ねていると、当然、他の患者の話を聞く機会も増えていきます。こうした経験の中で、奥野さんの中には何かモヤモヤした感情が募っていきました。
「私自身は、10歳でこの病気になったからこそ、その後の出会いと今の人生があったと思っており、ある意味、病気になったことに感謝する気持ちでいる。でも、今現在この病気で苦しんでいる人たちの前で『病気になってよかった』なんて言えない…」
そんな時に、とあるIBD座談会で出会ったのが、発症時期も同じ、考え方も同じの同い年の女の子。彼女もまた、病気をきっかけに臨床検査技師を目指しており、病気になって得たものもたくさんあると考えていて「私たちおんなじだね」という同じ境遇を過ごしてきた人間にしか通じない言葉をかけてくれました。
この彼女との出会いを通じて奥野さんも「病気との距離感は人それぞれ。私は私でいいんだ」と、本当の意味で病気を受け入れられるようになったと言います。
奥野さんが最後に紹介してくれたのは、平野啓一郎の小説『マチネの終わりに』に出てくる「未来は常に過去を変えている」という言葉。
あれほど一途に努力して取得した管理栄養士の資格ですが、現在はそれを必要としない職業に従事していて、「これでよかったのかな」とちょっと後悔したことがなかったわけでもありません。でも、今の時点で振り返ってみると、「自分が選ぶことのなかった人生もよかったかもしれないけど、今の私の人生は素敵」と思えています。
「今はそう思えなくても、後で振り返った時に私たちは《過去の意味づけ》という作業ができる」。奥野さん自身も、知らず知らずのうちに、過去の意味づけを行いながら生きていることに気づきました。これからも色々あるだろうけど、最後に「なんだかんだ良い人生だったな!」と思えるような人生を送りたいと願っています。
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