いつもの通りzoomを利用したオンライン形式で開催された15回目のIPWカフェは、誰もが毎日お世話になっているトイレがテーマ。「認知症のある人の外出を支えるトイレのデザイン」と題したミニレクチャーの講師は、日本工業大学建築学部建築学科・生活環境デザインコース教授の野口祐子さんです。
高校を卒業し、大学の社会福祉学科で学ばれた野口さん。日本国憲法第25条でも保証されている「基本的人権の尊重」や、障害者をノーマルな人にすることを目指すのではなく、彼らにノーマルな生活条件を提供することを目指す「ノーマライゼーション」などの思想に触れて選んだ卒論のテーマは、「全介助を受けながら自立生活を送る重度身体障害者の住環境整備」でした。
その後、30代になってからあらためて建築学科に学部から入りなおし、大学院で博士号を取得された後は、研究者としてさまざまな住環境整備やバリアフリーの研究・活動を行っている野口さんですが、本格的に認知症のある人のためのトイレのデザインに取り組まれるようになったのは、ご自身の母親が認知症になられたことがきっかけです。
家族として認知症の方と一緒に外出すると、「病院内でも道に迷ってトイレから戻ってこられない」「迷わず男子トイレに入る」「個室のカギの開け方がわからず中に閉じ込められた」など、さまざまなトラブルが発生します。それを見越して病院などではトイレ内のカギやボタンに大量の注意書きが貼り付けられている場合もありますが、デザインの視点で見ると、これはデザイナーがユーザーの特性を十分理解できていないという「とても残念な状況」。こうしたトラブルが多発すると、認知症の方ご本人が外出することについて委縮してしまったり、家族の方が「一人で勝手に出て行かないで!」と認知症者の外出を制限したりします。
「これまでのパブリックトイレは、身体障害者や視覚障害者には配慮してきたが、認知症者には目が向けられていない。これは私がやるしかない」と一念発起して取組み始めたのは2016年のことです。
研究にあたって、まずは認知症やその家族の方が外出時のトイレについてどんな困りごとを抱えているのかアンケートを取ってみることにしました。すると上記の「行方不明」や「個室閉じ込め」などのほか、「水を流すボタンがわからない」「小児用はあっても、大人用のおむつの販売機・ごみ箱はない」「母親の介助に必要でも、息子が女性用トイレに入れない」などが出てきました。外出時に利用するトイレの場所については、さすがに「病院」が1位となっていますが、2位以下は「デパート・スーパー」「レストラン」「駅」など、一般の方とほとんど変わりありません。
特にボタンとカギについては、最近のトイレの多機能化を反映して、複数のメーカーが多様な種類のボタンを出しているため、福祉施設に実物模型を設置して利用者の方に、実際にどのようなボタンだと正しく押せるのか、どのような間違いが発生するのかを検証してもらいました。この結果を認知心理学や老年心理学の先生にも相談して「どうしてこのボタンは間違えやすいのか」「間違いにくいボタンのデザインはどうあるべきか」を探りました。
こうした調査・検証の結果を踏まえて、野口さんは認知症の方やその家族が利用しやすい新たなトイレの提案を行い、さらにはこの成果を広く知ってもらうために、4コマ漫画なども多用した親しみやすい「公共トイレハンドブック」を作成しています。
もともとは公共トイレの設計や管理に関わる方に向けたハンドブックでしたが、底流にある、野口さんが学生のころから持つ「障害は障害者本人に問題があるわけではなく、社会こそが障害を作り出している。それを取り除くのが社会の責務」という思想に共感する当事者や家族からの反響も大きく、NHK厚生文化事業団の「第3回 認知症とともに生きるまち大賞」のニューウェーブ賞を受賞するに至っています。
野口さんの活動は単なる提案にとどまりません。2年ほどの時間をかけて直談判した結果、日本カルミック(株)によって「ラミネート式おむつボックス」の大人用対応機種が開発されました。また、岩手県を中心にスーパーマーケットを展開する(株)マイヤによって、野口さんが提案した「認知症の人に配慮した男女共用トイレ」が、経済産業省からの補助事業の一つとしてマイヤ仙北店において実現しています。
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